KIRIN PAGE

プランナーの戯言

牧歌的憂鬱

「豊かさだ。豊かさが自由を奪ったんだ。」
また始まったなと思った。彼はときどき突拍子のないことを言う。

「僕たちは裕福だ。食うに困ることはなく、毎日気ままに暮らしている。」
先ほど手をつけたばかりの食事もほどほどに、彼は語り出した。

「それを世間では、自由と呼ぶと思うけれども」
私がさえぎると、彼はさらに熱っぽくなる。

「わかってないな。真の自由とは、不自由さの先にあるのだよ。誰かに与えられたり、ましてや、生まれもつものではない。不自由な中で、激しく希求して、初めて手に入れるものなんだ。」
「僕らは生まれてこの方、不自由など感じたことがないだろう?」

確かに彼の言うとおり、私たちは、なに不自由なく暮らしてきた。広大な領地があり、身の回りのことは使用人まかせ。何もしなくても食事は出てくるし、毎日することと言ったら、散歩か世間話ぐらいだ。
仕事などしたことがない。

「このままでは、豊かさに押しさぶされて、何の中身もない、空虚な一生になるだろう。それだけは御免だね。」
彼が言いたいことはわかる。ただ、私たちは、ずっとこうなのだ。今さら、この生活を、捨てられるとは到底思えない。

「いまの暮らしをきっぱり捨てて、どこかで『不自由な』暮らしをおくるつもりかい」
冗談めかして聞いてみたが、一切迷いのない表情で、彼は言った。
「そのつもりさ。使用人にも話をつけてある。」
思わぬ返事に沈黙してしまった。
彼は本気なのだろうか。一通り話し終えたからか、彼は食事を再開した。私たちは、気まずさを誤魔化すように、黙々と食べた。

これが、彼との最後の会話になった。
結局のところ、彼が真の自由な生活を、手に入れたかどうかは分からない。
ただ、話し相手を失った私は、初めてこの生活に不自由を感じ、そして、自由を求めている。


ーーー彼は確かに、使用人の運転する車で、遠くへと旅立った。

運転する車の中で、使用人が電話をしている。

「はい。いま向かっています。うちの牛は完全放牧なんですよ。ええ。肉質は保証します。」

時は金どころの騒ぎじゃない

Time is money

「時は金なり」とは良く言ったもので、時間ほど貴重な資産はないと痛感している今日この頃。

意気込んでブログを始めたところ、更新が滞っているのには、一応しっかりと用意された言い訳がありまして、実は今年、転職を果たし、忙しくしておったからです。

前職では広告関係の会社でプランナー的な何かをやっていましたが、今回はある企業に企画担当として入社しました。

前職では、定時は言わば蜃気楼。見えているけど触れられない、到着できない。そんな存在でした。業務時間的には、テッペンを越えて次のテッペンを目指すような感じでしたので、残業はドリンクバーのようにおかわり自由の状態だったわけです。
それが辞めた原因の一つでもありますが、今の会社は、逆に残業ができないのが辛い。定時に上がるためには一分一秒たりとも無駄にできない。
事務のおばさまが「飲み会でカルアミルクを牛乳だと思って飲んだら酔っ払っちゃった」とかいう、有難い話を聞いている時間も惜しい。

人間がもつ資産のなかで、もっとも大切にしなければならないのは、時間であって、この有限資産をどう最適配分するかを考える毎日です。

セクハラが生まれるとき

本日、トンデモないニュースを耳にした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170127-00000053-jij-soci

簡単にまとめると、男性が女性に対して、恥ずかしい格好になるプロレス技をかけて、その様子を撮影したということだった。
女性の尊厳を傷つけるだけではなく、身体的な危険も伴うという、スーパーセクハラだ。
しかもそれを警察官がやったというので救えない。

ここで「セクハラをするような、この警官たちの頭がおかしいんだ」と捉えてしまうと、思考停止に陥る。実は、セクハラは身近にあって、そして、誰しもセクハラ加害者になる可能性を秘めている。そのことを実体験をふまえて紹介したい。

僕のかつての職場は、男女比9:1ぐらいの男性が多い職場だった。
その日は、部署の飲み会だったと記憶している。飲み始めてしばらく経って、みんなが上機嫌になってきたとき、セクハラが起こった。

僕の座っていたテーブルには、40代男性の上司と、30代の女性社員(Aさんとする)がいた。
上司は普段は気の利く良い人だが、酔うと絡んでくるタチで、その日も、Aさんと僕に絡んでいた。

歓談に興じていると、突然上司が僕に向かってこう口走った。

「おい、お前、Aさんは股が緩いから、一発頼んでヤらせてもらえよ。」(表現をかなりマイルドにしています。)
Aさんの目前で。
完全にセクハラである。

Aさんは笑いながら「もう〜」と流していた。
それでも上司は、しつこく同じことを言う。次第にAさんの顔色が曇ってくる。
そこで、僕が比較的やんわりと上司向かって
「それ、セクハラですよ。」と言った。
次の瞬間、ご機嫌だった上司の顔が真顔になって、

「お前がそんなこと言うと、本当にセクハラになってしまうだろうが!!」

と怒鳴ってきた。
今までの発言は正真正銘、本当のセクハラですよ。と思ったわけです。

このように、セクハラをしている本人は自覚がない。マズイことだと理解はしているが、自分の言動は該当しないと思っている。
ここにセクハラ問題の闇がある。

パワハラなどのハラスメントは、百歩譲れば、教育的指導という大義名分がある。しかしセクハラは、ただ面白がっているケースが多いように思う。加害者は「冗談だった」と言うかもしれないが、冗談では済まされない。

となると、解決策としては、周りが加害者に対してセクハラを指摘することが、一つ有効な手段ではないだろうか。
もういっそのこと、セクハラカードを作り、セクハラ的言動があった瞬間に、サッカーのペナルティーのように、カードを提示してしまえばいいんではなかろうか。
それぐらいの環境はあっても良い気がする。

企業としては、どのような行為がセクハラに該当するかを指導するだけではなく、それらが無自覚で行われることも指導すべきだと思う。

滋賀県警の警官が行なった行為は、下劣で、そして人の尊厳を踏みにじるものであり、必ず刑罰と社会的制裁をもってして償っていただきたい。
そして被害者には必ず十分なケアを実施して欲しい。

おっさんの定義

関西において「おっさん」は蔑称である。

頭に「おもろい」がついて「おもろいおっさん」になるとそうでもないのだが、プレーンタイプの「おっさん」には、少なからず蔑みが含まれている。
ちなみに、おじさんには敬意、おっちゃんには親しみが込められているように思う。

時間は等しく皆に与えられ、その経過も同じではあるが、年を経るごとに洗練されていくのか、それとも腐っていくのかはその人次第だ。
おっさんは、悲しくも、どちらかというと腐った側の存在である。特徴としては下記の通りだ。


・何よりも自分の利益を優先する。他人への配慮がない。自己中心的。
・おしぼりで顔を拭く。食事後ゲップをして爪楊枝をくわえる。


自分の周りには、幸いにも、素敵なおじさんと、絵に描いたようなおっさんがいて勉強になる。
二人の行動を比較していると、一番の違いは謙虚さと相手への思いやりである。
自分を大きく見せようとして横柄になるおっさんに比べて、おじさんの方は威厳がある。

ただ、おじさんとおっさんの分かれ目は、何か決定的なものがあるのではない。きっと日々の細かな積み重ねだと思う。

ここで、ある有名な映画のセリフを引用して、キザに終わりたい。

自分は年を重ねると熟成するワインだと思ってやがる。 本当は酢になってく野朗ばかりさ。
パルプフィクション(1994年)

それでも僕はやってないと言えるか

2017年が明けました。めでたいめでたい。
2016年も気づけばあっという間に過ぎ去り、ジャネーの法則をしっかりと体感している今日この頃です。どうもどうも。

振り返ってみると去年は転機の年だった。
結婚式、新婚旅行に始まり、念願叶って転職も決めることもできた。本当に良い年だった。

転職先は良い企業で、規模は申し分なく、何よりも今までの経験を活かしながらも、新たな職種で自分がやりたいことができる。
今からワクワクなわけです。

ただ、やはり不安も大きい。
そりゃ環境が一変するわけで、多少は仕方ないとは思う。
ただ、見過ごせない不安がある。それは通勤だ。

前職では、会社の近くに自宅があったので、自転車通勤をしていた。
片道およそ15分のサイクリング。
これが気持ちの切り替えに役立っていた。無心で自転車をこぐことで、ふっと企画のアイデアが浮かぶこともあった。
それが、転職後は電車通勤となる。

電車通勤。
生気のない顔をしたおじさん達が、すし詰めになって、遠くまでドナドナと運ばれていくアレだ。(あくまで個人のイメージです。)

それだけでも恐怖ものなのに、もっと恐ろしいものが…痴漢冤罪。
電車通勤の男性にとって、これほど怖い四文字熟語はないんじゃなかろうか。
かつて加瀬亮さんが熱演した映画「それでも僕はやっていない」で、一躍社会問題となった。

まずもって言っておきたいのは、そもそも痴漢をするような輩が存在するから、冤罪が生まれるのであって、痴漢は男女および全人類の敵であり、もれなくさっさと生まれ変わって、人生をやり直して欲しい。

話を痴漢冤罪に戻すと、最近、NHKの「ねほりんぱほりん」という番組で、痴漢冤罪の被害者の裏側に迫るという放送があり、タイムリーな話題だったので、テレビにかじりつくように観た。

まず、痴漢の場合、起訴されると99%が有罪となる。そのため、本当は犯していない罪を認め、示談に応じ、起訴を免れる方が多いそうだ。

示談に応じず、無実を訴えた方が番組にも登場していたが、その先に待っているのは地獄だ。
まず、裁判に時間がかかる。いくらこちらが無実を主張していても、一旦起訴されてしまえば、会社はさすがに待ってくれない。間違いなく退職を迫られる。最悪の場合は解雇だ。

もし無罪を勝ち取っても、無実の罪を晴らすために長い時間を使っただけで、何も残らない。
クビになった会社には戻りづらいだろう。本当に悲惨だ。

僕としては、結婚をして自分ひとりの人生ではなくなったので、家族を守るためにも、しっかりと対策を考えておかなければならない。

以前、よく聞いたのは「痴漢に間違われたら、その瞬間に走って逃げる」という対策法だった。駅の事務所に通された時点で、警察に捕まり、もうその後は先ほど述べた通りなので、それを回避するためらしい。
ただ、これもどうやら最良の策とは言えないようだ。
最近では、監視カメラやICカードの履歴から個人が特定できるようになっていて、たとえ逃げ切れたとしても、あとで捕まってしまう。その場合は、逃げたことが仇になる。
狭い取調室で、顔にライトを当てられながら、「やってない?じゃあなんであの時逃げたのかな?」
と、優しい口調ながらも、怒ると鬼瓦のような顔になる刑事さんに問い詰められる羽目になる。

そういうわけで、最近オススメされているのは、疑われた時点で大声で 「痴漢に疑われています!!助けてください!何か見た人は証言してください!」 と叫ぶことらしい。
突然ホームで叫ぶことになるわけで、相当恥ずかしいが、実際に冤罪にあったらそうは言ってられない。

駅のホームで「それでも僕はやってない!」と言えるのか。それが生死を分ける。 いざという時のために、家で練習しておかなければ。

つらつらなるままに

「思っていることをぶちまけたい!!」

厳しい社会で生き抜いているアナタなら、毎日抱えている思いではなかろうか。 ご多分に漏れず僕もそんな人間のひとりであって、日本人特有の事なかれ主義者であるがために、衝突を避け、太いものに巻かれる毎日を送っている。

そんな風にすごしていると、まぁ溜まるわけです。例のアイツ。万病のもと。ストレスが。
もし、ストレスのポイントカードがあったら、ざっと10万円分ぐらいは溜まっている気がする。もし、10万円あればロードバイクを買って、休日は河川敷で風になりたい。

まぁそれはさておき、最近、とっておきのストレス解消法を見つけた。それは、同業者のブログを読むことである。
ちなみに僕は広告関係の会社でプランナーのような何かをやっている。
同業の人が、どんなことを考えて仕事をしているのかを知れたり、業界ならではのあるあるに、赤べこのように頷いたりすることで、悩んでいるのは自分一人ではないと思え、気持ちが楽になるのだ。

特に気に入っているのが、元広告代理店のコピーライターが月更新で書いているブログだ。バックナンバーまでさかのぼって読むほどお気に入りで、つい先日すべての記事を読み終えた。
読み終えると衝撃の事実が。その人がブログを開始したのが、まさにいまの自分とほぼ同い年だったのだ。
というわけで一念発起。負けじとブログを書くことにした。

普段の生活で感じたこと。思ったことをつらつらと書くつもりだ。
ちなみに「つらつら」とは誤用されやすい単語で、本来の意味は「深く考えじっくりと」である。「何も考えず適当に」というのは誤用なのだ。
さっき調べて初めて知ったのは、恥ずかしいので内緒ですが、やはり言ったからには、つらつらと、つまり、深く考えじっくりと書きたい。

そして誰かのストレス解消に、少しでも役に立ちたい。